新しい学力
アクティブ・ラーニング流行りである。
私が所属している大学学部でも、授業は、教員の一方通行的な授業ではだめで、アクティブ・ラーニング的要素を取り入れなければ今どきの授業ではないというような無言の圧力にされされている。そのため、授業ではグループ学習を取り入れたり、プレゼンテーションを取り入れたりしている教員が多い。
しかし、アクティブ・ラーニング的要素を取り入れるとどうしても授業の情報量は少なくなってしまう。昨今のアクティブ・ラーニングが表面的であるという指摘は松下佳代先生の『ディープ・アクティブラーニング』でもされている。そこで、松下先生は外的活動における能動性だけでなく内的活動における能動性も重視した学習が必要であるとしている。
現代社会においては、生きた知識を得て問題解決につながるような知識の応用が図れることを目指すが、学習者に体系的な学問の習得がなければ、きっちりとした問題解決策など生まれるはずはない。そのためには、知識を詰め込む「伝統的な学力」と課題を解決するために必要な思考力などの「新しい学力」の2つが必要であると、齋藤孝氏も『新しい学力 (岩波新書)』の中で述べている。つまり、知識を詰め込むことと、アクティブ・ラーニングは二項対立ではないと。
また、齋藤先生は「これからの大学教育では、授業空間というライブな場をマネジメントし、リードする教育センスが、研究能力の高さとともに求められることになる。単にプレゼンテーションやディスカッション、調べ学習を取り入れているかといった表面的なことではなく、具体的に、学習者の一人ひとりの意識が活性する授業ができているかを見ていかなければならない。二兎を追い、二兎を共に獲得する。もし本当にアクティブな教育現場を実現しようとするならば、そのような難事業に向かうのだという覚悟を持って取り組む必要があるだろう。」と述べている。
齋藤先生自身は実施されているようであるが、そのように知識を習得させることと知識を活用させることの両方を身につけさせることは、いろいろな準備も多く必要な能力も色々必要である。現場の教員は実際その難しさに悩んでいる。
四国の外国人観光客大幅増加との報道がありましたが…
四国の外国人個人観光客が大幅増加との報道があった。前年度に比べ大幅な増加であり、景気のいい話である。
確かに道後温泉周辺でも外国人観光客の姿をよく見かける。授業でも愛媛は観光で賑わっているという意見だった。
しかし、観光庁「宿泊旅行統計」によると、愛媛県の外国人観光客延宿泊数(2015年)は10万人余りで38位だった。四国では香川県が最も多く21万人で27位、高知県も6.5万人で42位、徳島県は6万人弱で44位と四国は軒並み順位が低かった。
なんと、四国4県合計は合計44万1550人で和歌山県(434630人)より多いが滋賀県(477250人)より少ない程度であった。和歌山県は高野山があるし熊野古道は世界遺産なので外国人が多い理由がわかるが、滋賀県は京都に泊まれない人が滋賀に流れてくるのだろうか?
このグラフを授業で見せたら学生の反応は、愛媛は観光資源もいっぱいあるし、外国人は以前よりも見かけるし、信じられないという意見であった。確かに、愛媛でも外国人観光客は増えているのだろうが、他所はもっと増えているということだろう。
四国は製造業の立地上のアドバンテージもないし、都市型サービス業には人口密度が足りないし、観光業こそ地域振興の弾となるとは思う。
四国遍路は世界遺産を目指しているが、巡礼の道が産業道路では興ざめである。石手寺の和尚さんは、巡礼が優先でありお遍路が世界遺産になって物見遊山の人が多く来ることには否定的と学生が発表していた。
この調査も外国人延宿泊者数と数(量)を追っている。以前のブログでも書いたように
デービッド・アトキンソン 新・観光立国論でも、数ではなく質‐客単価の高い外国人の市場を開拓した方がよいとの提案があった。
四国も他所にないもの発掘し、売り出す必要があろう。四国の優位性は後進性である。癒しとかスピリチュアルなものとか自然とか賑わいの少ないことがメリットとなりえる。後進性を徹底的に磨いていくことが必要であろう。
国を挙げて観光による外貨稼ぎが目標とされているが、1980年代には観光なんて注目されていなかった。それは、日本の隅々まで良さが見直されていると捉えるべきか、電機産業もつぶれて他に外貨の稼げる産業がないからと捉えるべきなのか。
地域イノベーションって何なのか?
地域イノベーションという言葉が世間に流布している。各自治体における地方創生のためのまち・ひと・しごと総合戦略の中にも「地域イノベーション」という言葉が躍っている。
地域イノベーションという言葉はBuzz Wordになってしまって、それが指す言葉の意味が曖昧である。「地域」という言葉も「イノベーション」という言葉も定義されていないことが混乱を巻き起こしている要因と考えられる。
地域とは、地域ガバナンスの空間スケールとして広域圏や県などのサブナショナルやローカルやコミュニティーレベルでの活動というものがある。
同時に、イノベーションとは、イノベーションのインパクトとして革新的(ラディカル)-漸進的(インクリメンタル)なものか、イノベーションのセクターとして科学技術型やデザイン型、アート型、ビジネス型か、また経済的なものか社会的なものかなど様々なイノベーションの種類がある.
つまり、地域イノベーションとは、「地域」という語の多義性と「イノベーション」という語の多義性が掛け合わされたものであるので、明確には定義づけられていないのが現状である
そこで、地域イノベーションをイノベーションの対象を軸としていくつか類型化してみると大きく4つに分けることができる。
第1にテクノロジーベースのイノベーションとして先端科学技術を活用したハイテク系の地域イノベーションがある。文科省の地域政策もハイテク系の地域イノベーションの創出を目標としている。
第2にテクノロジーベースであるが先端科学技術とは関連の薄いローテク系の地域イノベーションがある。すべての地域が科学技術型のハイテクイノベーションを起こせるわけではない。そういう意味でローカルのイノベーションはハイテクでないものが比較的とっかかり易い。特に農林水産系のイノベーションはこのカテゴリーに入るであろう。
第3に、テクノロジーベースではないイノベーション、つまり地域におけるソーシャルイノベーションが挙げられる。最近は経済成長を目指す取り組みより社会的改善を目指す取り組みへの関心が高まっている。そのため地域活性化のためのソーシャルイノベーションの役割が注目されている。
第4に、厳格にはイノベーションの定義には当てはまらないが地域活性化の取り組みを新しい言い方として地域イノベーションと称しているm、つまり政治タームとしての地域イノベーションがある。地方創生で挙げられる地域イノベーションはこのカテゴリーが多い。
以上見てきたように地域イノベーションと一口にいっても指すものは様々であり、捉え方の違いを十分認識したうえで議論する必要があると言える。
大学の地域連携についての論文をまとめました。
12月に発刊された産学連携学会誌では【特集 大学の地域連携マネジメント】の編集を担当し、個人としては「大学の地域連携の活動領域と課題」という論文で日本における大学の地域連携活動における現状と課題についてまとめた。
内容としては、大学の地域連携活動は文科省のトップダウンで進められて、十分な議論が重ねられてきたわけではなかった現状に対し、アンケート調査結果を中心に大学の地域連携の取組状況を明らかにし、大学の地域連携の活動現況と課題を抽出した。
大学等が挙げる地域連携活動の課題としては、教職員や資金の不足との指摘が多かった。今後、更に地域連携活動を展開するためには、人的・予算的なリソースの確保が重要な課題であるという状況である。
大学の使命として、第1に教育、第2に研究、第3に地域貢献として挙げられる。法律的にも大学に第3の使命として社会・地域貢献の機能強化を図るようにとされている。文科省の運営費交付金が削減される中、特段金銭的な処置もなく(*COCという見せ金はあるが…)組織改革を迫っているのが現状である。つまり、リソースが増えない中で、教育、研究を削減できない上で新たな義務が付加され、現場の負担感が大きいのが現状である。
拙稿の第1の主張は、大学の地域連携活動は、第3の使命として地域連携の取組を単体として捉えるのではなく、研究・教育につながるシステムとして捉え、大学の組織特性や地域環境・ニーズに合わせ支援していくことが必要であるという点である(下図参照)。決して新しい主張ではないが、大学の地域連携活動は教育・研究と結び付けて展開することにより意味をなすものである(現場の一担当教員としては理想通りにはならない現実を実感していますが…)。
イギリスのリンカーン大学のチャールズ教授も言っていたが、レベルの高い研究、レベルの高い研究者・生徒があってこそ、きちんとした地域連携ができると。よくあまり特色のない大学の地域連携活動のみを取り上げ「地域連携頑張ってます!」と宣伝している大学があるが、それでは地域が求める連携活動はできないと。確かにそうだと思う。
第2の主張は、特に国立大学に関してであるが、最近の大学の地域貢献は大学の活動領域を狭めているという点である。1949年に各地に新制国立大学が設立された時、旧国立の学校のみならず、県立の学校を統合して国立大学を新設した。これらを天野郁夫先生は大学の”国立化”と呼んでいる。そしてアンケート調査で明らかになったことであるが、国立大学の教員は県域を越えた活動としていたが、今回のCOC事業では地域を県と定義しているため、今後の国立大学の教員の地域連携活動はおのずと県域が中心となるであろう。これを国立大学の地域化・県域化と名付けた。
今回の学会誌『産学連携学』の特集号では拙稿の他に、イギリスにおける大学の地域連携に関する議論や、岩手大学、高知大学、福井大学、信州大学と地域連携活動が盛んな大学の取り組みについて紹介してます。
コミュニティ開発としてのシビックエコノミー
最近、シビックエコノミーという言葉を耳にする。社会の課題に向き合い、事業性を考えながら社会に役立つ解決策を図るような活動を指すことが多い。しかし、それではソーシャルビジネスと同じではないかと思う。
そこで、『日本のシビックエコノミー』という本では、「ソーシャルビジネスという言葉からは、主に社会的問題(社会的排除、地域社会、環境、開発援助など)の解決に事業性をもってあたるという主体の経済的自立の側面が想起されるのに対し、シビックエコノミーは市民による生産・流通・消費・蓄積のプロセスと社会的関係の新しいあり方、つまり総体的な循環システムの側面に着目した言葉と捉えられる」としている。
『シビックエコノミー』では、シビックエコノミーとは「オープンで社会的な経済」「ウェブ2.0の文化と、市民活動を通じて社会貢献を行う決意とを融合させた経済」であり、「従来の明確に区別された市民社会、市場、政府の各部門から、革新的な方法を融合させる人、ベンチャー、行動からなる経済」と定義している。
あえて両者の違いを線引きすると、ソーシャルビジネスは事業という側面が強いのに対し、シビックエコノミーはコミュニティの活性化につながるより公共性が高い取り組みを指すことが多いといえる。
『日本のシビックミー』の中には、先日訪問した岩手県紫波町のオガールプロジェクトが事例として紹介されていた。また、しまんと新聞についても取り上げられており、私の授業で紹介している。
私個人としては、地域を創生する”学習”に関心を持っている。一昨年長野県の飯田市で地域における様々な学習について事例調査を行った。その際、原社長のおひさま進歩エネルギーにも行って、事業の仕組みについてヒアリングした。
「地域経済論」の授業では内発的発展論について講義する回もあり、学生の関心が比較的高いトピックである。地域経済論を教えていて時々アンコンシャスになるのは、地域経済論が国民経済の縮小版として地域経済を捉えており、地域の発展とはGDPの増加を意味するとしていることである。
地域の本音としては、経済発展はそれほど望んでいないという現実がある。経済発展よりかは持続性が喫緊の課題である。その中で、シビックエコノミーの総体的循環システムの考え方は、地域の持続性をはかる内発的発展モデルとの融合が可能となるであろう。
- 作者: 江口晋太朗,太田佳織,岡部友彦,小西智都子,二橋彩乃,紫牟田伸子,フィルムアート社編集部
- 出版社/メーカー: フィルムアート社
- 発売日: 2016/02/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (1件) を見る
勝手に広島県改造計画
広島県および広島市はポテンシャルが高く、日本国土のなかでも重要な場所だと前から思っていた。最近、福岡が注目されているが、福岡は朝鮮半島に近すぎる。広島は朝鮮半島に近すぎず、遠くもなく、程よい距離感である。明治期に広島市に陸軍がおかれ(なので原爆が落とされた)、呉市に海軍がおかれたというのが重要さを示す証拠であろう。
広島はポテンシャルがある割には発展しきれていない気がする。その大きな要因はインフラの立地であろう。大学と空港がどうしようもないところにある。これが広島県の致命的な欠陥である。このグローバルな知識社会において、アクセスの悪い知的&ネットワークインフラは価値がない。この致命的な欠陥を是正しなければ、何をやっても広島の発展はない。
しかし、まだまだ新しい広島大学と空港をもとの広島市内に戻すということは現実問題として許されない。
ではどうすればよいか。それは、山陽新幹線の線路をちょっとずらせばいいのである(下記地図参照)。現在の広島駅と三原駅の間の路線を改修し、広島大学駅(地下駅)と広島空港駅(地下駅)をつくるのです。広島駅から広島大学まで10分、空港まで20分、(福山駅からも空港まで20分、広島大学まで30分)。広島駅と福山駅の間に6両編成ぐらいのシャトル便を1時間に3本くらい走らせれば、広島大学と広島空港の利用は格段と増え、価値も上がる。
以上の内容は、2年前に広島県の産学連携について意見を求められた際のヒアリングで答えたものであるが、検討されない内容であったのであろう。でも、広島大学の研究をどうにかして産学連携を盛んにするかと言う前に、アクセスを良くすれば、広島大学も岡山大学をライバル視するレベルではなく、旧帝大程度にレベルアップするでしょう。そして、県土も興隆すること間違いなし。
湯崎知事、この案採用してくれませんか?
天才は、ある時、ある場所に凝集して現れる。
私は イノベーションの場所性について考えているので、エリック・ワイナーの『世界天才紀行』について、とても興味深く読んだ。何せこの本の原題は”The Geography of Genius"なのだから。
天才を才能論で論じるのではなく、創造性は、特定の場所で、特定の時期に、輝かしい才能と革新的アイデアが大量に生み出された事実に着目している。そのため著者は、問うべきは「創造性とは何か」ではなく、「創造性はどこにあるのか」としている。
世界史をたどり、天才が生まれるのは、アテネから、杭州、フィレンツェ、エジンバラ、カルカッタ、ウィーン、シリコンバレーと、ある時代のある特定の場所において数多く現れることを示している。それは私が尊敬するイギリスの都市学者のSir Peter Hallの ”Cities in Civilization" でも示されている。著者は文筆業者であるのでそれよりも人物中心に生き生きと描かれている。
天才が生まれる場所とは、オープンな環境であり、新たな情報と、新たなアイデアをいつでも歓迎する風土が大切であると言っている。この指摘自体はフロリダの
『新 クリエイティブ資本論』と繋がる話である。
著者は天才の生まれる空間だけではなく、天才の特性についても言及している。天才とは、“しぶとい”と。たんに胆力があるとか、頑固でしつこいのではなく、“しぶとい”人たちは、機転が利き、気概があり、創造力に富んでいるらしいと。これは、つまり
『やり抜く力 GRIT(グリット)』だな。
この本は天才を扱っているが、間接的には新しい科学を生んだ場所についても言及している。”科学は国境を超える”とか”科学はユニバーサルである”とか特に自然科学を叩き込まれた人々は主張するが、歴史的に見れば、科学も特定な場所で生まれている。そこはベルファーストのクイーンズ大学のリヴィングストン教授も
『科学の地理学: 場所が問題になるとき』で論証している。
科学技術振興における空間の重要性について考える材料になる。
世界天才紀行――ソクラテスからスティーブ・ジョブズまで (ハヤカワ・ノンフィクション)
- 作者: エリック・ワイナー,Eric Weiner,関根光宏
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2016/10/21
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログを見る
電気自動車の時代が来る
イノベーションはマネジメントできるのか?
2016年9月1日の野城先生の『イノベーション・マネジメント』の書評でも取り上げたが、現在日本のイノベーション観は、技術革新中心であり、技術が優れていればイノベーションが起きるという見方に引きずられていると。
東京大学i-schoolのディレクターの横田幸信氏が書いたのがこの『イノベーションパス』である。パスとは経路(Path)を意味し、イノベーションには方法論があり、その方法論にもとづき事業開発戦略を行うというのが本書の主旨である。
横田氏は「日本企業の中で特にメーカーは、高度経済成長期からのものづくり分野における「技術革新」での成功体験を引きずり、イノベーション分野でのトレンドとも言えるデザイナーの活用や人間中心のアイデア発想の方法論導入などで、世界的に遅れをとっているように思います(p.18)」と述べている。「日本企業に対しては、…「人間中心イノベーション」という考え方と方法論を、個人及び組織に植え付けることが有効」と言っている。
本書ではアイデアの出し方、収束の仕方などの方法論・マネジメントについても言及している。デザインシンキングに重なる議論であり、シリコンバレー的なイノベーション・マネジメント方法論であろう。アメリカは確かに世の中をシステム的に再構築し、モデル化しパッケージとして売り出すのがとてもうまい。
個人的には、イノベーションは一人の突出した能力の持ち主や画期的な研究シーズから生み出されるというプリミティブなモデルが好きであるが…。
あとがきに書いてありますが、この横田氏は趣味もイノベーションだそうです。
オガール(OGAL)紫波にいってきました。
盛岡出張で盛岡市内のビジネスホテルに泊まるのも面白味がないと思い、紫波町のオガールインに泊まり、オガールの施設を視察してきました。地域活性化の取り組みであちらこちらで紹介されているのでご存知の方も多いかと思いますがオガール紫波は約10haの町有地を公民連携により再開発した施設群です。バレーボール練習専用の体育館があり、その他に図書館、町役場、病院、マルシェ、居酒屋、コンビニなど生活関連施設が集まっています。現在も新しい建物が建設中です。
下の写真はバレーボールコートと宿泊施設のある建物です。宿泊施設はツインがシングルユースで5500円です。
下の写真は紫波マルシェです。野菜だけでなく、肉、魚、お惣菜、手作りお菓子など様々なものが売っております。産直売り場というよりは立派なスーパーといった感じでした。干し柿(6個150円)とリンゴ(140円)、ラフランス(150円)のチップを買って帰ってました
下の写真は紫波町役場です。とてもきれいな建物です。町の経済の中心は農業であり、環境循環型経済を町づくりのコンセプトとしています。
下の写真はJR紫波中央駅です。駅舎も新しくなっています。盛岡駅から紫波中央駅まで電車で約20分、320円です。
紫波の公民連携には東洋大学の先生が関与して事業を推進していったらしいです。オガール紫波の街づくりを詳しく知りたい方は下記の本を読んでみてください。
宮沢賢治と岩手大学
岩手大学に行ってきました。地域創生およびCOCの取り組みなどで意見交換してきました。岩手大学はこの国立大学の中期計画で地域に貢献する大学を選択しましたが、もともと地域貢献のためにつくられた大学なので、特に変化はないとおっしゃっていました。確かに東北の冷害や飢饉の解決をはかる人材の育成のため盛岡高等農林学校が建てられたし、盛岡高等工業学校も製造業を振興するために地元が熱心に誘致した結果建てられたものであった。そういう意味では大学のミッションがぶれていない大学である。その辺りの詳しい内容については近日発刊の産学連携学会誌に掲載される予定です。
写真は重要文化財の旧盛岡高等農林学校本館です。宮沢賢治が卒業した学校です。現在は岩手大学農学部付属農業教育資料館として盛岡高等農林学校関係の資料が展示しています。その中で一室が宮沢賢治関係の資料が展示してあり、宮沢賢治は岩石の研究をしていたことを始めて知りました。二階の大講堂は宮沢賢治の入学式、卒業式の際に使用されたものだそうです。宮沢賢治に興味がある方は関豊太郎先生への直筆の手紙もあり楽しめる場所だと思います。宮沢賢治のような優秀な卒業生がいることは大学の大きな財産です。大学の財産って卒業生ですよね。
有機ELディスプレイ投資に勝ち目はあるのか?
山形県米沢市の有機ELの取り組みの調査を行っていたこともあり、有機EL業界の動向はウォッチしていたが、日本メーカーから景気の良い話はその後聞いていない。1997年に東北パイオニアで世界で初めて実用化された有機ELディスプレイだが、その後東芝もパナソニックもSONYも事実上撤退している。そこにApple8で有機ELが採用になるようであるのでJDI、シャープも有機EL製造に投資するらしい。
しかし、有機ELディスプレイをまともに作れるのは、努力と根性と〇〇で技術をものにしたサムソン1社だけであり、つぶれたコダックから特許を買い取った本気印のLGさえもまだものにしていない(量産はまだという意味)。そこへ、中国の京東方科技集団をはじめとした企業が2兆円有機ELに投資するそうである。そうなったら、日本企業の出る幕ではないであろう。早稲田大学の長内教授は有機EL投資から撤退すべきであるとしている。長内教授はSONYに在籍していらしたし、台湾企業の顧問もしていたので、日本企業に勝ち目がないというのは確かな判断だと思う。
中国人とインド人が出てきたら体力勝負では勝ち目はないので、昔取った杵柄にすがるのではなく、その分野からはおとなしく撤退するのが賢明であろう。
科学技術開発も同様で、投資額が勝負を決める分野では日本の勝ち目はないであろう。日本の科学技術はニッチな分野でしか勝てなくなるのか?限られた投資で世界的に有意義でプレゼンスを示すことが必要であり、そのための確かな戦略が必要であろう。
えひめ・まつやま産業まつりで「紅まどんな」を買いました
松山市の城山公園で開催されている えひめ・まつやま産業まつり「すごいもの博2016」に行ってきました。
松山市の単なる産業展ではなく、マスコミもタイアップして大木こだま・ひびきやテツ and トモなどがステージでライブを行っておりました。うちが行った時はテツ and トモの出番で、500人以上はライブを見ておりました。テツ and トモはTVに出ずに営業で稼いでいるそうですが、このようなステージではかならずしも東京の流行りのお笑いでなくてもいいので、テツ and トモのような毒のない芸人は子どもやお年寄りには人気がありますね。観客はとても楽しんでおりました。
今、マスコミで話題の高級柑橘「紅まどんな」を購入しました。JA愛媛一押しの産品です。甘くて、ゼリーのような食感で、12月が旬だそうです。県外の人に贈答用にお贈りするのに、自分たちで食べたことがないのでは話にならないので自ら買ってみました。2個1000円は高かったかな。紅まどんなが今後、ちゃんと地域ブランド品と売れ続けるかどうかウォッチしていきたいと思います。
神山町でさえもこの状況
よく地方創成の成功例として取り上げるものの一つに徳島県神山町があります。
NPO法人グリーンバレーの大南信也さんらが中心になって、地域活性化に取り組んでいます。IT企業のSansanがサテライトオフィスを開いたり、若い移住者が来たりしていると話題になっている地域です。
しかし、下図のように神山町の人口減少は続いています。自然減はここ数年100人強です。社会減も2011年は12人ほどプラスでしたが、2012年以降23~65人の減少となっています。
大南さんも”創造的過疎”として、自然減は致し方ないが、人口を再生産する若い世代が移住して来ればよいとしていますが、2013年に159人あった転入者数が2014・15年には111人、109人と減少しています。
神山町は地域の活性化に一生懸命取り組んで、成功例とされているが、地域の縮小を止めるには至っていないという現実があります。人口のフリーフォールを止めるのはかなりむずかしいようです。このような中、地域政策は効果を出せと言われても、構造的に無理なのではないか。絶対に達成できない目標を追いかけているのではないか。地域活性化の成果指標、ゴール、定義を変えないと、徒労感ばかりが募っていくでしょう。
神山プロジェクトという可能性 (~地方創生、循環の未来について~)
- 作者: NPO法人グリーンバレー,信時正人
- 出版社/メーカー: 廣済堂出版
- 発売日: 2016/08/15
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
グローバル主義の退潮と地域主義の停滞
トランプが大統領になり、イギリスがEUを脱退する。中国やロシアは昔から国家主義であり、世界全体がグロバル主義とは逆のベクトルで動くようになっている。
つまりは、国(ナショナル)レベルの力が強くなっている。このことは、その作用として地域(サブリージョン)のレベルの力が弱くなることを意味している。
これからは、地域の権限より国の権威が優先されるようになっていくと思われる。