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地域でイノベーションを起こしやすい環境づくり:英国ニューカッスルの取組み

このブログでは、最近イノベーションハブについて紹介しましたが、地域イノベーションの空間づくりの実証研究としてイギリスのニューカッスルで行ったフィールド調査の結果をとおして具体的に見ていきたいと思います。

 

なお、本編はイノベーション空間の整備と大学の役割: 英国・ニューカッスルを事例にして」として 愛媛大学社会共創学部紀要 で公表しています(興味のある人はリンクにアクセスしてください)。

 

以下は論文の要旨です。

要旨 複雑化する現代社会に対応するために大学は多様な機能が求められており、特にイノベーション・システムの中心的役割を期待されている。本研究では, 大学を中心としたイノベーション空間の構築という視点から大学の役割を再考し、大学の社会連携に関する新たな知見を提供する。事例として取り上げたニューカッスルでは、イノベーション空間の構築において大学が果たしている機能として、研究開発、人材育成の他に、イノベーション・マネジメント、コミュニティの形成、イノベーション地区の開発とプレイスメイキングなどがあげられる。また、サイエンスシティとして市の意図と大学の意図が融合して、新たな学問分野を創造すると同時に、新産業の創出を図っている。サイエンスシティの称号の獲得は、都市のブランドづくりに役立つと同時に地域のアイデンティティ形成の道具となっている。

 

 

1.ニューカッスルの地域概要

ニューカッスルはイギリス中部、北海に面した人口約30万人3)の北東イングランド地域の中心都市です。

ニューカッスルおよび周辺地域は古くから石炭の産地であり、その積み出し港として商業・貿易の街として発展していきました。産業革命時、市内を流れるタイン川には多くの造船所が立地して、世界の造船業の中心地でありました。

しかし、第二次世界大戦後には造船業は衰退し、1970年代には周辺の炭坑の多くも閉山し、ニューカッスルは産業の空洞化や失業者の増大に悩まされるようになりました。

その後、ニューカッスルでは産業構造の転換を模索し、中心市街地の再開発による商業施設の拡大や、医療、教育などのサービス業の育成に力を入れています。

ニューカッスル教育機関としては、ニューカッスル大学、ノーサンブリア大学、ニューカッスルカレッジの3つの高等教育機関が立地しています。

 

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ニューカッスル所在地

2.ニューカッスルにおけるサイエンスシティの取組み

ニューカッスルではここ20年間の動きとして、イノベーションを基軸とした都市再開発の取組みを継続的に行っています。以下にその動きについて見ていきます。

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ニューカッスルにおけるイノベーションの制度構築の沿革

(1)サイエンスシティ:イノベーションという地域アイデンティティの構築

ニューカッスルにおいて大学にあるサイエンスをもとにした地域活性化の取組みの嚆矢として2000年の生命科学センターの開設があげられます。

同施設はサイエンスビレッジとしてニューカッスル駅の隣地を再開発し、ニューカッスル大学の産(婦人)科研究所や国民医療サービス(NHS)などの研究機関や会議場・インキュベーションなどのビジネス施設だけでなく、子供向けの科学博物館が建設されました。科学博物館では科学に関するイベントやショーを定期的に行っており、ボトムアップで科学技術のリテラシーの向上を図るなど地域の小中学生のSTEM教育の中心的拠点となっています。

施設内にはレストランやバーも備わっており、賑わいを生み出しています。この市民に開かれたかたちの生命科学国際センターの建設はサイエンスシティの取組みのきっかけとなり、シンボル的な意味合いを持つようになりました。

 

生命科学国際センターの建設を契機として、ニューカッスル市は2005年に英国政府によりサイエンスシティに選定されました。サイエンスシティ政策は、大学を中心にサイエンスを基盤にしたイノベーションを起こし、成長を促し、それを地域の経済開発につなげるというコンセプトです。

ニューカッスルとしても、サイエンスの中でも特にデジタル技術やライフサイエンスをもとにした新しい産業創出を図ることを目標としており、英国政府はサイエンスシティの称号を提供することで、サイエンスという知識を軸とした経済開発を促進させていきました。そして、知識経済においてサイエンス活動を特定地域に領域化して、地域の競争力を構築し地域内外から多くの投資を受けることを目的としていました。

 

(2)ヘリックス:イノベーション地区の開発

ヘリックス(サイエンスセントラル)は、ニューカッスル大学の近隣にあったビール工場の跡地に研究施設やビジネス施設、住宅などを建設する都市再開発プロジェクトです。

この再開発はかつてサイエンスセントラルと言われていたが、2018年にヘリックスと名称を変えた。ヘリックスはエツコウィッツがモデル化した産学官連携の制度的仕組みを三重らせん構造(トリプル・ヘリックス)のヘリックスにちなんで名づけられました。

ヘリックス地区は、24エーカー(約97,000㎡)の敷地15)に大学校舎、研究施設、オフィスビル、住宅など20棟余りの建物を建設し、4,000人の雇用を生む事業予算3億5,000万ポンドの再開発計画です。

同地区の具体的施設配置を見ていくと、大学関連施設として、2017年にオープンしたアーバン・サイエンス・ビルにはニューカッスル大学のコンピュータ科学部がメインキャンパスから移転してきました。

2019年にオープンしたフレデリック・ダグラス・センターは大学の大講堂やセミナールーム、展示スペースなど社会との交流を図る目的の建物である。2020年に竣工したカタリストビルには高齢化研究とデータ科学研究を行う2つの国立イノベーションセンターが入居しています。

民間の施設として、バイオスヘアビルではバイオ関係のスタートアップ支援が行われており、コアビルではデータサイエンス関係の中小企業や、ドイツの電機メーカーのシーメンス、地元の水道会社のノーサンブリア・ウォーターの実験室などがある。その他に、オフィスビル、ホテル、地域エネルギーセンター、450戸の住宅などが今後建設される予定です。

ヘリックスは複合的な施設を配置する面的なイノベーション地区であり、サイエンスを通した都市再開発として視覚的にイメージしやすいものです。


同地区では、ニューカッスル大学および国立イノベーションセンターを中心機関として、ニューカッスル・サイエンス・フューチャーのプロジェクトとして、例えば環境に配慮した水処理の研究、高齢者に配慮したスマート住宅の研究、地区内でのスマートグリッドなど実験場として研究が行われており、モニタリングやデータの採集などが行われるリビングラボとなっています。

 

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ニューカッスル ヘリックス地区再開発建物配置図

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カタリストビル【国立イノベーションセンター】

(3)ニューカッスル・シティ・フューチャー:リビングラボのための場の構築

ニューカッスルにおける都市課題の解決を目指す包括的なプロジェクトとしてニューカッスル・シティー・フューチャー(NCF)があります。

NCFは、2014年にニューカッスル大学により作られた、ニューカッスル市とゲーツヘッド市における長期的な政策動向とビジネスニーズに答える研究開発のための協働的プラットフォームです。

2015年に活動の中心組織としてニューカッスル市役所、ニューカッスル大学、ノーサンブリア大学、ゲーツヘッド市役所の4団体はワーキンググループとして都市未来開発グループ(UFDG)を組成しました。都市未来開発グループではメンバー間で話し合い重ね、2065年のニューカッスル市・ゲーツヘッド市の未来図を作成しました。

NCFでは、4団体のほかに地域産業パートナーシップ(LEP)、企業など22の団体のパートナーシップ・コンソーシアムを組成しています。NCFは、産学官の三重らせん構造ではなく、イノベーションの実装のために産学官に市民や非営利団体が加わる四重らせん構造を特徴としています(Vallance et al. 2020)。

 

(4)国立イノベーションセンター:イノベーション拠点の設置

ヘリックスを舞台に、イノベーションの創出を推進する機関として国立イノベーションセンターがあります。ニューカッスル大学は国と資金を合わせ、2014年に高齢化研究、2017年にデータ科学のための国立イノベーションセンターを開設しました。ヘリックスにはこの2つの国立イノベーションセンターが立地しています。


この国立イノベーションセンターは大学の研究者ばかりではなく企業出身も多く所属しており、イノベーションに向けた実用的な開発を行っています。

イノベーションセンターはニューカッスル大学の一組織であるが、大学と民間企業の橋渡しを行う間組織として機能しています。この2つのセンターは近接立地することにより、デジタル技術を活用した高齢化問題の解決策を図るなどの独自のアプローチを生み、相乗効果が期待されています。


国立データ・イノベーション・センターでは、デジタル技術、クラウド技術を中心に、シーメンスやアクゾ・ノーベルなどの企業と未来社会のための共同技術開発を行っています。

国立高齢化イノベーションセンターでは、イノベーションのための研究としてP&G、グラクソ、ユニリーバpwcなどと高齢化社会に向けた共同研究を行っています。国立高齢化イノベーションセンターの特徴としてVOICE(Valuing Our Intellectual Capital and Experience)という高齢者や患者、ケアワーカーなので構成される15,000人余りのボランティアベースの組織があります。この組織を中心に高齢者向けの新製品・新サービス開発のデータを収集しています。この組織の存在によりニューカッスルの産学連携は四重らせん構造であると同時に、リビングラボという場を形成していることを意味します。

 

4.イノベーションの空間的整備

ニューカッスルでは2000年の生命科学国際センターの開設以降、サイエンスシティプロジェクト、ヘリックス地区の再開発、NCF、国立イノベーションセンターの設置というように、都市再開発という空間的整備と同時にイノベーションに関する制度的整備が連続的に行われています。

それにより、ニューカッスルイノベーション・システムにおいて制度的・空間的進化が見られます

2000年の先端生命国際センターの開設時は、産学連携は大学の科学知の商業化を主目的として進めており、まだ産学官の三重らせん型の連携で市民やユーザーが参加するものではなかったです。また、その取り組みは、サイエンスシティは地域におけるイノベーション・ミリュー(イノベーションの制度的空間)の形成を目指していたが、企業の参加は少なく地域全体の取組みとは言えませんでした(Vallance et al. 2020)。

その後、政府からサイエンスシティのブランドを獲得すると、それを都市開発のコンセプトとして生命科学やデータ科学分野に力を入れ、地域全体としてボトムアップからイノベーションリテラシーを高める努力をしていきました。
サイエンスシティ事業は、地域の産学官連携フレームワークを形成し、地域にイノベーション醸成の雰囲気をもたらしました

また、ヘリックスの整備は、イノベーション地区としてイノベーション人材の集積を促進し、イノベーション活動を目に見える形で顕在化させています。さらに、元工場をハイテク学術集積地として不動産価値を向上させたと言えます。

そして、拠点としては、ニューカッスル大学および2つの国立イノベーションセンターの存在があげられます。

国立イノベーションセンターは大学の組織ではあるが、イノベーション創出を目的とした開発をミッションとしており、間組として企業などからも新たな人材を獲得しイノベーションプラットフォームを形成しています。

また、大学はシビック大学として産学官に市民を交えた四重らせん構造の中心機関として社会課題の解決を目指しています。

NCFがあることで具体的に人々が協働しながら活動することができていると同時に、プロジェクトが束になることで将来像を話し合うなどの場が形成されています。

また、NCFは社会課題のプログラムを組織化しており、ヘリックスではリビングラボとしてNCFのプログラムが実施されています。

これら一連の取組みはアーバン・イノベーションの取組みといえる。

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ニューカッスルにおけるイノベーションの取組みと空間的コンセプト

 

5.おわりに

ニューカッスルでは、サイエンスという大学の知識を活用しイノベーションを軸とした都市空間の再整備が行われていました。

大学を中心にハードなインフラとして施設が建設されると同時に、ソフトな仕掛けによりイノベーションのコミュニティが形成されていっています。

サイエンスパークやイノベーション地区などのハードを整備してもソフトがなければ機能が働きません。

NCFはイノベーション地区の活動を支え、コミュニティを形成する取組みでありました。社会構造、産業構造を変えるイノベーションを創出するには、制度だけ構築しても空間だけ整備してもだめです。

制度と空間は補強関係にあります。イノベーション創出のためには両者を相互に関連付けながら導入を図っていく必要があります。