デトロイトに見る産業都市の盛衰
20世紀を代表する産業都市としてアメリカ・ミシガン州のデトロイトが挙げられる。デトロイトは自動車産業の興隆とともに発展していった町である。デトロイトの興隆から衰退の軌跡について見ていきたいと思います。
1. デトロイトとフォードの発展
自動車産業の立地する前のデトロイトの様子を見ると、1820年から30年代頃はエリー湖を行き来する船舶の造船所や水運を活用して運搬する小麦関連の製粉所や製粉機機関関連の産業が立地する地域でした。
1860年から80年代にかけては銅製錬所が立地し、その関連の銅合金、真鋳、金具製造が発展し、造船業に関連する塗料、ニス、蒸気発生機、ポンプ、潤滑装置、工具、ストーブなども立地するようになっていきました。
1903年にフォードが創業したが、デトロイト周辺に立地する機械産業や船の艤装関連産業をベースに自動車産業が発展していきました。1907年にフォードののT型発売が販売されると町は自動車の生産とともに大きくなっていきました。
フォードにより自動車産業が形成されてと言えるが、フォードが自動車を産業したわけではなです。フォードの成し遂げたことは、生産の標準化と新市場の開発により、自動車を手ごろな価格で発売していったことです。
(フォードの成しえたこと)
■生産の標準化
大量生産「フォードシステム」大量生産システム
製品の標準化:5000点以上の部品構成
高い生産性
自動車組み立て時間を12.5時間から1.5時間へ短縮
■新市場の開発
自動車の価格が大幅に引き下げられた。
価格:1908年には850ドル→1915年には440ドル
中流農夫や工場労働者が買えるようになった。
その後、T型に固執したフォードのシェアは低下していきますが。GMなどが興隆して、町は拡大していきました。
デトロイトの最盛期は1962~1964年と言われています。その頃、スモーキー・ロビンソン、ダイアナ・ロス、マービン・ゲイなどが所属するモータウンレコードは全米のミュージックシーンの中心的存在となり、公民権運動が盛んに起きな割れたり、経済力を背景にオリンピックの誘致活動が行われたりしました。フォードの最先端のスポーツカーであるマスタングが発売されたのも1964年でした。
2.デトロイトの衰退
デトロイトが衰退を始めたきっかけと言えるのが 1967年7月23日から27日にかけて起きたデトロイト暴動です。黒人暴動は警察の手には負えず、国境警備隊などの軍を派遣、死者は43名、1189名負傷、逮捕者は約7,200名とアメリカ史上最大の暴動と言われております。それ以降、白人を中心にデトロイト市から中流階級が流出していきました。
デトロイト市の人口は、最盛期の185万人から直近では70万人にまで減少しています。
ジェイン・ジャイコブズは『都市の原理』 で「都市の発展はイノベーションが持続的に生み出されることによってもたらされ、それが行えなくなった時に都市は衰退する。」と言っています。
デトロイトの発展は元々造船業や機械工業などの多様な産業基盤があったがゆえに、フォード式自動車大量生産システムを生みましたが、1920年以降自動車産業に集中し、効率な生産を追求することで、巨大企業への部品の供給は「単純な」仕事になってしまったと言えます。それゆえに地域としての創造性を失っていきました。
3.再生への取組み
その後のデトロイト市の荒廃はマスコミなどで報道されている通りです。しかし、最近デトロイトで再生への取組みが行われています。
JP Morganが1.5億$を投資したり人材を派遣しています。地元住宅ローン会社の社長Dan Gilbertが95の施設を21億$で買収・改修の予定です。
また、1988年に閉鎖されたミシガン中央駅(1913年開業)を2018年6月にフォードが買収し、自動運転に関するイノベーションハブ(拠点)として2022年から使用を開始し、そこでは2500人の従業員が勤務する予定です。
確かに、デトロイト市中心部は再開発が進み、ICT関連企業が入居したりして活気が戻ってきています。GMの本社があるルネッサンスセンターからFOXシアターにかけては治安はだいぶ安全になっていると言えます。しかし、FOXシアターの北部にあるウェイン州立大学の裏や中央駅の裏および中心部から8マイルロードまでの郊外部は今でもかなり治安が悪いと言えます。
<参考文献>